COMPANY

薄紙印刷と
オフ輪の歴史


History of
IWAOKA 岩岡の歴史

イワオカの原点

当社と薄紙印刷のつながりを振り返る時、その歴史は遠くまで遡ります。当社は、昭和50年10月、現代表取締役会長 岩岡勤(当時40歳)により創業されました。岩岡会長が大学卒業後、当社の前身にあたる岩岡書籍印刷株式会社(実父 岩岡忠一翁が創業)に入社したのは昭和32年のこと。忠一翁はすこし前の昭和27年に、52歳という若さで惜しまれつつ早逝していました。 岩岡会長は幼少のころ、白い馬に乗った憲兵が工場の巡視にきたことを憶えています。昭和15年頃の当時、工場では、帝国陸軍の「歩兵操典」「作戦要務令」といった歩兵がポケットに入れて携行する本の印刷を行っていたのです。

フィーダーもない、手差しの活版印刷機だけの時代。 印刷に使われていたのは薄葉紙36.5gぐらいの薄紙です。 まだ幼かった勤会長は無邪気に問いかけます。「お父さん、どうしてこんな手間のかかることをやるの?」それに対して忠一翁は、「仕事は人の嫌がること、やりたがらない、手間のかかることをするからいいんだ。みんなができる楽な仕事だったら、うちにこないだろう?」と諭すように説明してくれたといいます。 まさに当社の原点がここにあります。

すでにUV乾燥を実現していた、創業当初のAT全判2色機


History of
Thin Paper 薄紙印刷の歩み

オフ輪での薄紙印刷に挑み
薄紙の4色印刷を実現

昭和50年、岩岡勤会長は自らの考えを世に問う気持ちで、岩岡印刷工業株式会社を創業。翌51年にはオフセット輪転印刷機で生命保険の約款印刷に着手します。
BF(ビジネスフォーム)では、帳票類を中心に薄紙に印刷加工する技術が確立されつつありましたが、まだまだオフ輪での薄紙印刷は他に例を見ませんでした。通販業界が無店舗販売と呼ばれていた黎明期。同じ郵送料で多くの情報量を盛り込めるのは、百貨店でいえば売り場面積が増えるのと同じことだと、勤会長は言います。

昭和50年代といえば、単色から多色になったDM(ダイレクトメール)が、新しい媒体として広まりはじめた頃。当社では、通常B6判や新書判を印刷するB横全判4色機に765㎜幅の紙を通す、縦180㎜ × 左右180㎜のサイズを得意としていました。その頃すでに42gの4色印刷も実現していました。

ところが時代はA4判をJIS規格とし、DM の主流サイズはA4判の巻き三つ折りへ。流れ方向のサイズが固定されるオフ輪にとっては、サイズ変更が最大の泣き所です。昭和の終わり頃にかけては、当社の歴史のなかでも薄紙化への熱意が薄い時期で、主に42gを印刷していました。

薄葉紙の特許を取得し
さらなる改良へ

平成に入り、「コアコンピタンス」つまり自社の強みを再構築する動きが製造業でも高まりました。結果、当社の強みは薄紙への多色印刷だと分析されたのです。時を同じくして、取引先から38g薄葉紙への印刷の検討依頼がありました。440㎜幅という特別サイズの薄紙への印刷は、とりわけハードルの高いものでしたが、その依頼を機に経験を積み重ね、平成17年には印刷機械の改良により特許を取得。平成18年には20g薄葉紙への印刷に成功しました。そして平成25年6月18g/㎡薄葉紙の提案が採用され製造を開始、史上最軽量の製品となりました。

現在では14g薄葉紙への4色印刷も可能


History of
Web Press オフ輪のイワオカ 以前の会社案内から抜粋

イワオカとオフ輪との出会い

そのルーツは、20数年前のある出来事にさかのぼります。

ヨーロッパを訪れた現社長・岩岡 勤は、ミュンヘンでアメリカからヨーロッパに導入された2台目のオフ輪を目のあたりにしました。思えば運命的な出会いです。教科書・参考書の多色刷りとコストダウンを模索していた岩岡は、そのとき、オフ輪こそ一生のパートナーであると心に決めるのです。以来、昭和41年には我が国の中堅印刷企業のトップを切って多色オフセット輪転機を導入。大手と競合しない特色ある機械の開発と需要創造を熱望してきた岩岡の、印刷人としての、それは独自の境地開拓への第一歩でした。オフ輪の勇姿、メカニズム、大いなる技術開発の可能性、そしてその回転音までが岩岡をとりこにし、「独創的な製品づくり」「主義主張のある製品づくり」の追求への情熱を高めたのでした。めざすは加工オフ輪。今日につづく、大手さえ未着手のその高度な技術への挑戦は、こうして始まったのです。

40年代初期はまだオフ輪の黎明期。技術的な問題が山積していました。そんな中で、岩岡はオフ輪の先進地アメリカで先端技術に接し、その刺激を加工オフ輪の開発に昇華させていきます。

そして昭和50年、岩岡印刷工業(株)設立。すでに数台のオフ輪を自ら開発していた岩岡は、岩岡印刷工業の発足と同時にさらに精力的に印刷加工機の自社開発に取り組んでいきます。

日本に一台しかない
ウルトラマシーンの開発

以来、開発に開発を重ね、ついに到達したのがBYS4/4オフセット輪転機です。従来の機械2台分を一緒にした能力を持ち、薄紙印刷が可能で、しかもミシン加工とさまざまな折出加工を同時にやってのけるというこのオフ輪機は、構想から完成までに要した歳月5年、従来機の3倍強の重量、既存の最高級機の2~ 3倍の開発費と、日本に1台しかない破格ずくめのウルトラマシーンです。この画期的なオフ輪の開発により、イワオカの技術はいっそうの飛躍を見ることになりました。

しかし、これは当社がめざす加工オフ輪すなわち“インライン・フィニッシング・システム”の一応の到達点にすぎません。本格的な市場開発はこれからであり、インライン・フィニッシング・システムへの挑戦はまだまだ続きます。けれどイワオカは、「その時代で最高の製品をお客様に提供できる」という秘めたる確信を持っています。なぜなら、いまやオフ輪は岩岡ひとりのものではなく、全社員の力を結合する武器となっているからです。このパワーで、イワオカはこれからも、ユーザーのために一歩先を見つめながら製品づくりにベストを尽くしていくでしょう。

現在の自社工場の生産ライン